ACT1058 雑記・邑那ルート観
ああ、そうさ。僕は場違いさ。
おそらく僕がいなければ、このまま舞台の幕は下り、
それなりに全てがうまくいくのだろう。
もしかしたら、
僕なんかいなくてもいいのかもしれない。
僕がいなくたって、
邑那と燕玲は全く同じ計略を立てて、
同じように成功してたかも知れない。
だけど、僕はここにいる。
司の王様に対する「王様は裸だ」という言葉。
はっきり言って邑那ルートにおける司の存在理由はそれしかないわけだが、
しかしそれこそがたった一つの、最も重要な事だった。
司がこの場にいない他のルートでは「それなりにうまくいった」のだろう。
表面上起こったことは変わらなかったのだろう。
だがしかし、邑那、ついでに源八郎を本当の意味で救うためには、
やはりその言葉がなければならなかったのだろう。
それが司の『主人公』としての役割だった。
そう考えると、邑那ルートにおける司の存在の軽さっぷりにも納得行く気がする。
ただ。
やはりどうしても納得いかないのは。
邑那も燕玲も他人を踏みにじって生きている人間である
というところ。
甘っちょろいヒューマニズム。
子供めいた価値観。
しかし私は、どうしてもそれを捨てられない人間なのだ。
そこを割り切って生きられない人間なのだ。
光の当て方によって見え方が変わるにしても、
彼女らにそういう一面があるのは確かな事実。
象という全体は見えなくても、耳や牙や鼻の特徴、それ自体だって真実なのだ。
「ビジネスとはそういうもの」の一言で片付けられないような、
他人に後ろ指指されるような、悪辣な手口でのし上がってきたことは事実なのだ。
自分がツライ思いをしたからといって、生き延びる唯一の手段だったからといって、
有象無象の人間を苦しめる理由にはならない。
私だって、世の中キレイ事だけじゃ通らないだなんて分かってる。
でも、世の中では通らないことが通るからこそ物語とは素晴らしい、
ということもあるハズだと思うのだ。
そして邑那達の言動で一番気に食わないのは、
「踏み躙ったたくさんの人々の境遇には胸を痛めます」
などと邑那がいうところ。本当なのだろうか?
自分が破滅しないために周りの人間が不幸になっても構わない、
という行動をとっているのにそんな事を言うのは単なる言い訳ではないのか。
この世で自分だけが可哀想だとでも思っているのか。
どうせやることが変わらないのだったら、
初めから悪ぶっておけばいいのではないか。
司はこれらの問題を
「僕は、邑那が、好きなんだよ」
の一言であっさりとクリアしてるけど、
どうやら私は司ほど邑那の事が好きじゃないらしい。
それだけじゃあとても納得いかなかった。
そこで「主人公」と「私」との間に距離が出来てしまっている。
邑那ルートは一つの物語としては上出来の上出来なんだけれど、
少なくとも個人的には、物語に『感情移入』はできなかったなあ、
というのが正直な感想。
私にとって彼女等の行動は、
「ここ二年近く、わたしは、あんたやジェームズ卿みたいな人間のために、
五十万から百万もの幼い子供たちが、飢えて死んでいくのを見てきた。
根本的には、あんたのような人間が、邪悪な腐敗しきった独裁制を操って、
より大きな利益を懐にするために、やったことなんだ。
しかもすべては、法と秩序の名において、
合法性と制度上の規定を根拠にして、行われたんだ」
――『戦争の犬たち』より引用――と何一つ違うようには思えなかった。
例え理由が違うにしろ、そんな個人的事情など知ったこっちゃない他人にとっては、
自分たちの被った結果だけが真実なのだから。
ところで、渉さんがPULLTOP史上初の
「救いようのないド悪党キャラ」として描かれているのは、
燕玲との対比のためなのだろうか。
『出会い』がなかったがために堕ちた人間を描くため。
そうでなければ、渉さんの落とし所は「ただ勘違いしてたいい人」
で終わらせときゃ済む問題なので。
コメント
確かに割り切れんシナリオと私も思いました。プレイ終わっても、口の中にアルミ箔のかすでも残ったようなえぐみがある感じです。PULLTOPらしくないです。
でも、邑那に対して司の前でそこまで悪に徹しろというのもまた酷なような気がしないでもないですし、かと言って彼女たちが他にどうすればよかったかと言われれば思いつかないんです。
かと言って本校側の司だったら、容赦なく邑那を断罪して、でも邑那達はそれを受け入れるわけもなくて、それだけで終わった気もするのです。
恐らく、この辺のもやもやが残ることはライターも承知の上で書いてるんでしょうな。
投稿者: たたずむひと | 2006年12月03日 00:14
こういった単純に割り切れるものじゃあない問題を敢えてもってくるあたり、
それも、ヒロインの一人にその割り切れない役目を背負わせたあたり、
作り手も邑那というキャラやそのシナリオが受け入れられない
可能性は覚悟の上なんでしょうね。
対談でも『賛否両論出るとは思います』
とのコメントでしたし。
その割り切れない部分をユーザーとして語るには、
自分の心に素直に従って語るしかないのかなあ、
などと思います。
割り切れない問題に対しては、
自分自身の心で決着をつけるしかない、
と思いますので。
投稿者: nなるなゆ | 2006年12月03日 23:21